青春座の歩み

昭和22年5月22日付けのGHQ許可のある無法松の台本
昭和22年5月22日付けのGHQ許可のある無法松の台本

【誕生】

「停電のため灯されたローソクの炎が、目白押しに並んだ皆の顔にゆらゆらと影を作っていた。男11人、女12人。

世間のまだ誰もが知らない劇団青春座の全員が集合して、すでに3時間余りの討論をつくしたあとの、熱っぽい沈黙だった。 窓の外に真向かいの八幡警察署の建物が黒々とそびえて、ところどころにローソクのあかりがゆらいでいるだけの、静かな戦後のたたずまいだった。」


世間にはまだ一面の焼け野原が広がっていた昭和20年10月、劇団青春座は厳しいがしかし、熱っぽい雰囲気の中で呱々の声を上げた。

【全国大会】

昭和29年10月、全国青年演劇大会に福岡県代表で初出場(神宮外苑体育館)。

2回目の昭和35年10月の東京神田一橋講堂での公演は舞台装置が着かないというアクシデントにも拘わらず、審査員の絶賛を浴びて最優秀賞の栄誉に輝いた。 昭和38年も出場。

昭和29年冬頃の読み合せ風景
昭和29年冬頃の読み合せ風景
昭和35年10月全国青年演劇大会 東京一橋講堂
昭和35年10月全国青年演劇大会 東京一橋講堂

昭和38年1月「岩松助左衛門」長浜での稽古
昭和38年1月「岩松助左衛門」長浜での稽古

【初の合同公演】

昭和38年2月、北九州市合併を契機に、市内十余劇団の合同公演を提唱。初代代表鶴岡高作で、郷土に材を取った「岩松助左衛門伝」。八幡・小倉両市民会館を超満員にした。

41年「火野葦平伝(青春編)」、42年「筑豊一代」、43年「杉山貞」、46六年「ある町の高い煙突」、48年「その灯いのちと永遠に」と、十年間で6回の実績を残し、北九州のアマチュア劇団のレベルアップに寄与し、青春座に「郷土シリーズ」を確立させた。

「王将」稽古。右端は青鞜座代表小台三四郎
「王将」稽古。右端は青鞜座代表小台三四郎

 

【福岡の青鞜座と合同公演】

昭和39年2月、北条秀司作「王将」を福岡の青鞜座(代表小台三四郎)と合同公演。

地域間交流の先駆けを果たした。

昭和40年12月「姉の言葉」 八幡市民会館の楽屋
昭和40年12月「姉の言葉」 八幡市民会館の楽屋

【社会派路線】

昭和40年、原爆の悲惨さを扱った「姉の言葉」、昭和45年は交通事故の「狂った季節」、46年は公害問題を扱った「ある町の高い煙突」の上演では、北九州青年会議所との連携も深くなった。

以後、障害者問題の「たんぽぽの詩」

教育の「杉山貞」老人問題の「走れウラシマオー」ガン告知の「時の贈りもの」離婚の「さよなら、あなた」、感染症の「バードウイルス来襲」などと続いた。

 

【子ども劇場】

昭和41年、新しいジャンル開拓のため、児童劇「笑え!捨吉」を製作。

44年、47年、54年、58年にも上演。

平成7年「ほら吹き安とエンマ様」を、高塔ライオンズクラブと共同製作。青春座の貴重なレパートリーとなっている。

 

【北九州市民文化賞受賞】

昭和45年11月、第三回北九州市民文化賞を受賞。

副賞で初めてテープレコーダーを購入。

梅の木155本を植樹
梅の木155本を植樹

【市制10周年記念】

昭和48年2月、市制十周年を記念して「その灯いのちと永遠に」を市、子ども会、青年会議所などを糾合して上演。幅広い「市民参加」の芝居作りの基礎を作った。

 

この公演の益金で、小倉南区横代の農事センター内に「白洲梅園(谷伍平市長命名)」を作り、毎年可愛い梅の花が市民の目を楽しませている。

 

【ロータリー年次大会】

昭和50年10月、ロータリークラブ会員も出演して、「無法松の一生」を上演。

画期的な年次大会となる。

 

【文化庁後援】

昭和51年5月「青木繁~その愛と放浪」は九州芸術祭参加作品として、小倉、久留米で上演。アマチュア劇団初の文化庁後援となった。

 

【全日本アマチュア青少年文化祭】

昭和54年「笑え!捨吉」で参加。九州のアマチュア劇団の意気を示した。

ロータリークラブ会員の真剣な稽古風景
ロータリークラブ会員の真剣な稽古風景
「海の幸」を描く「青木繁」
「海の幸」を描く「青木繁」

【市制20周年・東京公演】

昭和58年4月「無法松の一生」を有楽町よみうりホールで上演。

昼夜とも立ち見が出る程の大盛況で、NHKが「九州スペシャル~花のお江戸で無法松」で全国放送。7月の北九州公演は、NHKで全幕舞台中継される。

「無法松の一生」東京公演(よみうりホール)
「無法松の一生」東京公演(よみうりホール)
賑やかに拍子木でお迎え(よみうりホール)
賑やかに拍子木でお迎え(よみうりホール)

【子ども創作劇場】

昭和58年12月、子ども会主催の子どもたちの芝居を全面指導。

「吉四六どん」「歌をわれらに」「笑え!捨吉」

 

【サントリー地域文化賞受賞】

昭和五59年11月、市民劇団としての活動が受賞の対象となった。

「吉四六どん」出演の足原校区の子ども達
「吉四六どん」出演の足原校区の子ども達
大阪・全日空シェラトンホテルで受賞式      中列左端は佐治敬三サントリー文化財団理事長
大阪・全日空シェラトンホテルで受賞式      中列左端は佐治敬三サントリー文化財団理事長

【創立40周年】 

昭和60年5月「杉田久女」公演。

記念事業として合わせて「杉田久女上演記念句会」「杉田久女展」開催。

11月「北原白秋アルバム~からたちの花」直方、小倉公演。「青春座戯曲選集」刊行。

 

【中学生舞台芸術鑑賞教室】 

昭和61年6月、北九州市教委主催で「たんぽぽの詩」を市内中学生6000人が観劇。

主人公の母土谷信子さんの舞台挨拶に、中学生も感激。

昭和61年11月、福岡県教育文化功労賞受賞。

東筑紫学園高校の学生さんと
東筑紫学園高校の学生さんと
「やっちゃん」のお母さん土谷信子さん
「やっちゃん」のお母さん土谷信子さん

 

【初の海外公演】

平成2年5月、中国・大連市で「無法松の一生」公演。

草の根の国際文化交流を果たした。

大連市青少年宮の舞台
大連市青少年宮の舞台
大連の子ども達も出演した「無法松の一生」公演
大連の子ども達も出演した「無法松の一生」公演

【野外公演】

平成5年7月、北九州演劇祭のプレイベントとして、小倉城の石垣と階段を使って、ギリシャ悲劇 「オイディプース王」を上演。暴風雨の中で鬼気迫る公演だった。

 

【デスマッチ公演】

平成6年6月~7月、ラフォーレミュージアム小倉で「チェーホフ劇場」開催。

6日間、7ステージで役者の日替わり。小劇場での醍醐味を満喫。

暴風雨の中での公演
暴風雨の中での公演
チェーホフ「プロポーズ」
チェーホフ「プロポーズ」

【創立50周年】

平成7年5月「時の贈りもの」で二度目の東京公演。

東京芸術劇場中ホールに2389人の観客を動員。「青春座戯曲選集Ⅱ」刊行。

 

平成7年11月 地域文化功労者文部大臣表彰受賞

東京芸術劇場 開場を待つ大勢のお客様
東京芸術劇場 開場を待つ大勢のお客様
井生猛志・近藤士郎が受彰式に出席
井生猛志・近藤士郎が受彰式に出席

平成8年2月「第三回福岡県文化賞」受賞 

 

平成8年5月北九州演劇祭国際交流事業として、二度目の中国・大連公演。

離婚がテーマの「さよなら、あなた」が大好評。

麻生渡福岡県知事と記念撮影
麻生渡福岡県知事と記念撮影
観客席も笑いが一杯。大連市青少年宮
観客席も笑いが一杯。大連市青少年宮

すべて手作り。いらっしゃいませ!
すべて手作り。いらっしゃいませ!

 

【屋台公演】

平成9年7月 スミックスホールエスタに桟敷席。

ロビーにはおでん、かき氷、ビールなど昔の芝居見物の雰囲気を再現。翌10年も開催。

 

平成15年2月、北九州市のイメージアップ功労で受賞。

【創立60周年】

平成17年、三本の記念公演、写真展を開催。記録・写真集刊行。

5月の「無法松の一生」は念願の嘉穂劇場(福岡 飯塚市)でも上演。

北九州芸術劇場公演
北九州芸術劇場公演
盛況の嘉穂劇場
盛況の嘉穂劇場

 

 【創立65周年】

平成22年、創立65周年にともない三本の記念公演を行う。

地域に出かけての「出前公演」や女優陣10人による名作朗読会、記念誌を発行。

 

出前公演の荒木喜三太
出前公演の荒木喜三太
「名作朗読会」佐藤鈴子
「名作朗読会」佐藤鈴子

【北九州市民文化功労賞】

平成25年11月、北九州市制五十周年記念。

北九州市民文化功労賞を江口之章、岡部八郎が受賞。

 

【創立70周年】

平成27年 三本の記念公演、記念手拭い作成。子ども達の「北九州むかしばなし」朗読会。

 

【モクシチロードクカイ】

平成29年7月、毎木曜日午後7時。北九州文学サロンにて開催。

森浩美:作「家族シリーズ」より、4作品を4人で朗読。

 

【出前公演】

平成30年4月~7月、市内市民センターで開催。10月は藍島でも公演。

朗読「無法松の一生」、朗読劇「三途の男」葉月けめこ:作

 

【創立75周年】

令和2年、春・夏・秋と3本の公演を予定。

しかし新型コロナウイルス感染症の影響により、春(5月)、秋(11月)の公演が中止に。夏(8月)は「北九州ページェント~和太鼓と演劇のコラボ~」と題し、小倉城庭園横にて開催。神洲太鼓(小路美保代表)参加。  

アクセスカウンター