<青春座の歩み>

誕生 

「停電のため灯されたローソクの炎が、目白押しに並んだ皆の顔にゆらゆらと影を作っていた。男11人、女12人。 世間のまだ誰もが知らない劇団青春座の全員が集合してすでに3時間余りの討論をつくしたあとの、熱っぽい沈黙だった。 窓の外に真向かいの八幡警察署の建物が黒々とそびえて、ところどころにローソクのあかりがゆらいでいるだけの、静かな戦後のたたずまいだった。」
世間にはまだ一面の焼け野原が広がっていた昭和20年10月、劇団青春座は厳しい、がしかし、熱っぽい雰囲気の中で呱々の声を上げた。

 

昭和29年10月 全国青年演劇大会に福岡県代表で初出場(神宮外苑体育館)。

2回目の昭和35年10月の東京神田一橋講堂での公演は舞台装置が着かないというアクシデントにも拘わらず、審査員の絶賛を浴びて最優秀賞の栄誉に輝いた。 昭和38年も出場。

 

昭和38年 初の合同公演

北九州市誕生を契機に市内十余劇団の合同公演を提唱。

以後十年に亘って、北九州のアマチュア劇団のレベルアップを図った。

 

昭和39年2月 創立20周年。北条秀司作「王将」を福岡の青踏座と合同公演

 
社会派路線を扱う

昭和40年 原爆の悲惨さを扱った「姉の言葉」。

昭和45年 交通事故をテーマとした「狂った季節」。

昭和46年 公害問題を扱った「ある町の高い煙突」の上演は青春座に新しいジャンルを切り開いた。

 

昭和41年 子ども劇場

更に新しいジャンル開拓のため児童劇「笑え!捨吉」を製作。以後青春座の貴重なレパートリーとなっている。

 

昭和45年11月 創立25周年の年に第三回北九州市民文化賞受賞。

昭和48年2月 市制10周年記念

市制十周年を記念して再び「その灯いのちと永遠に」を市・子ども会・青年会議所などを糾合して上演。幅広い「市民参加」の芝居づくりの基礎を作った。

この公演の益金で、小倉南区横代の農事センター内に「白洲梅園」(谷伍平市長命名)を作り、 毎年可愛い梅の花が市民の目を楽しませている。

 

昭和51年5月 文化庁後援

「青木繁~その愛と放浪」は九州芸術祭参加作品として小倉、久留米で上演。 アマチュア劇団初の文化庁後援となった。

 

昭和54年 全日本アマチュア青少年文化祭

「笑え!捨吉」で参加。九州のアマチュア演劇の意気を示した。

 

昭和58年4月 市制20周年・東京公演

「無法松の一生」を有楽町よみうりホールで上演。

昼夜とも立ち見が出る程の大盛況で、NHKテレビが全国放送。(九州スペシャル~花のお江戸で無法松)

7月の北九州公演はNHKテレビで全幕舞台中継。

 

昭和58年12月 子ども創作劇場 子ども会主催の子どもたちの芝居を全面指導。

昭和59年11月 サントリー地域文化賞受賞

市民劇団としての活動が受賞の対象となった。

 

昭和60年5月 創立40周年「杉田久女」公演

記念事業として合わせて「杉田久女上演記念句会」「杉田久女展」開催。

11月「北原白秋アルバム~からたちの花」直方、小倉公演。「青春座戯曲選集」刊行。

 

昭和61年6月 中学生舞台芸術鑑賞教室

北九州市教委主催で「たんぽぽの詩」を市内中学生6000人が観劇。

 

昭和61年 福岡県教育文化功労賞受賞

 

平成2年5月 初の海外公演

中国・大連市で「無法松の一生」公演。草の根の国際文化交流を果たした。

 

平成5年7月 野外公演

北九州演劇祭のプレイベントとして、小倉城の石垣と階段を使って、ギリシャ悲劇 「オイディプース王」を上演。暴風雨の中で鬼気迫る公演だった。

 

平成7年5月 創立50周年

「時の贈りもの」で二度目の東京公演。東京芸術劇場中ホールに2389人の観客を動員。

「青春座戯曲選集Ⅱ」刊行。

 

平成7年11月 地域文化功労者文部大臣表彰受賞

 

平成8年2月 「第三回福岡県文化賞」受賞

 

平成8年5月 二度目の海外公演

北九州演劇祭国際交流事業として、中国大連市で「さよなら、あなた…」公演。

 

平成9年7月 屋台公演

スミックスホールエスタに桟敷席。ロビーにはおでん、かき氷、ビールなど昔の芝居見物の雰囲気を再現。平成10年も開催。

 

平成15年 北九州市のイメージアップ功労で受彰。

 

平成17年 創立60周年

「三本の記念公演」「写真展」「記録・写真集」刊行。5月の「無法松の一生」は念願の嘉穂劇場でも上演。

 

平成22年 創立65周年

三本の記念公演を行う。地域に出かけての「出前公演」や女優陣10人による「名作朗読会」記念誌発行。

 

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